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歯石

  • 2010/03/31(水) 19:40:36

○歯石(calculus)
口腔内の付着物などが石灰化してできる、容易に除去できない歯の沈着物である。
成分は無機質が約90%、有機質が約10%で、リン酸カルシウムを主成分としている。
歯石には新たなプラークが付着しやすくなるため、歯石の除去は歯周治療において重要である。

○プラーク=歯垢
いわゆる歯屎(歯糞、はくそ)。
歯牙表面に付着した黄白色を帯びた粘着性の物体のことを指す。厳密には歯牙との接触面は獲得被膜ペリクルと呼ばれる皮膜で、その上に形成されたものが歯垢。デンタルプラーク、また単にプラークと呼ばれている。
歯垢はその組成の8割が水分、残り2割が有機質である。その有機質の大半は細菌(口腔常在菌)とその代謝物であり、口腔内の清掃状態によって細菌が変化し、歯周病や齲蝕など様々な疾患の原因となる他、口臭等を誘発する。
歯垢が石灰化して歯牙表面に張り付いたものを歯石と呼ぶ。歯垢の間は歯ブラシやデンタルフロスなどによる口腔清掃によって除去できるが、歯石となると歯科医院等でなければ取ることは出来ない。

◎プラークコントロール(歯垢を着きにくくする)するには?
△規則正しい食生活
不規則な食事回数や間食などは、歯の表面が虫歯菌によって溶けやすく、プラークが付着しやすい状態を作る為、規則正しい食生活はプラークコントロールの1つです。

△繊維質の食品を良く咬んで食べる
歯の表面のプラークが繊維質を良くかむことで落とされて減少するため、これもプラークコントロールの1つです。

△定期的な歯石取り
自分で行うだけがプラークコントロールではありません。病院などで歯石などを取ると表面がツルツルな状態になり、プラークが付きにくくなります。これらもプラークコントロールの一つです。

△虫歯の治療
虫歯があるとその部分が段差となり、プラークが付きやすくなります。このため虫歯を治療して表面の段差が無くなれば、プラークコントロールに役立ちます。

物語論

  • 2010/03/30(火) 07:18:35

フェルディナン・ド・ソシュールによって定義された言語学用語では、シニフィエ(意味)、シニフィエ(言葉)に分けられる。またその対をシーニュと呼び、その関係性をシニフィカシオン
と呼ぶ。

物語を語る=物語行為(narration)
 物語(narrative)
 |ー語り手(narrator)
 |ー聞き手(narratee)

弁当

  • 2010/03/29(月) 07:35:29

■弁当(辨當)

【語源】
「弁当」は、「好都合」「便利なこと」を意味する中国南宋時代の俗語「便當」が語源ともされており、「便當」が日本に入り「便道」、「辨道」などの漢字も当てられた。「弁えて(そなえて)用に当てる」ことから「辨當」の字が当てられ、「辨當箱」の意味として使われた。

【歴史】
古代
稲の栽培がはじまった弥生時代には、とれた米を蒸かして乾燥させたもの「糒(ほしいい)」を持ち歩き、水やお湯でもどして食べていた。猟や農作業などの作業途中に食事をとるために家から持って行ったと考えられる。

糒(ほしいい)
を衣(きぬ)の中に包みて坂田に到る
                     (日本書紀)
「糒(ほしいい)」を布で包んで持ちながら歩き、坂田に着いた。「糒(ほしいい)」とは「干し飯 (ほしいい)」は「乾飯(かれいい)」とも言う(伊勢物語「東(あずま)下り」)。

 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いい)を草枕 旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る
                   (万葉集 有間皇子(ありまのみこ))

というのがあります。家では竹でこしらえた曲げ物の器(うつわ)「笥」にこんもりとごはんを 盛るのに、今は旅の途中なので椎の葉っぱの上に盛る、という歌の意味ですが、実は無実の罪に問われて死刑場にとらわれの身となって護送されている途中に 詠んだ歌です。「糒(ほしいい)」「乾飯(かれいい)」は、昔から日本人の 携帯食だった。

平安時代
「干し飯(ほしいい)」または「糒(ほしいい)」と呼ばれる調理済みの乾燥米も利用されていたが、携帯用の食料として「頓食(とんじき)」と呼ばれたおにぎりが登場する。甑(こしき)という蒸し器で蒸したごはんは固いので「強飯(「こわいい」と言い、現在の「おこわ」のこと)」とも言いますが、釜で炊いたごはんはやわらか く、これを「姫飯(ひめいい)」と呼んだそうです。現在、私たちが食べているごはんはこの「姫飯」なのです。そして、この「強飯」や「姫飯」を卵形におに ぎりにしたものを平安貴族は「屯食(とんじき)」と呼びました。また「屯食」は宮中の女房(女性の仕官)など、女の人の言葉で「おにぎり」とも呼ばれていました。「おむすび」という呼び名もありますが、これは手や指を合わせて形を作ることを「むすぶ」と言うところからきたものだと考えられているようです。「源氏物語」には、主人公の光源氏が元服する時に、家来たちに「鳥の子」という卵形をしたおにぎりをふるまったという場面もある。

「屯食(とんじき)、禄の唐櫃(からびつ)どもなど、所狭(せま)きまで」
                             (源氏物語)
(祝いの品としておにぎりや唐櫃(衣類などを入れる玉手箱みたいな箱)などが所狭しと並べられた)

  むかし、男ありけり。(中略)三河の国、八つ橋というところにいたりぬ。(中 略)その沢のほとりの木かげに下(お)り居て、かれいひ食ひけり。(中略)
   唐衣(からころも)きつつなれにしつましあれば
       はるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人かれいひの上に涙落してほとびにけり。(後略)
               (『伊勢物語』新潮日本古典集成 新潮社1976年)

安土桃山時代
茶の文化が進む事で、弁当は花見や茶会といった場でも食べられ、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになる。

江戸時代
天下泰平の時代になると、弁当はより庶民の間でも市民権を得る。旅行者や観光客は簡単な「腰弁当」を作り、これを持ち歩いた。腰弁当とはおにぎりをいくつかまとめたもので竹の皮で巻かれたり、竹篭に収納されたりした。能や歌舞伎を観覧する人々が幕間(まくあい)に食べる特製の弁当として、「幕の内弁当」が登場する。弁当のハウトゥー本も多数出版された。ひな祭りや花見に向けての準備を行う庶民のためにこれらの本には弁当の具体的な調理方法や包み方、飾り方などが詳しく書かれていた。

明治時代
給食もなく、また外食施設が発達していなかったため、役所に勤務する官吏たちは江戸時代からあるような腰弁当を提げて仕事に出掛けていた。そのため、安月給の下級役人は「腰弁」などと呼ばれていた。また明治初期の学校では昼食を提供していなかったので、生徒と教師たちは弁当を持ってこなければならなかった。明治初期には、鉄道駅で最初の「駅弁」が発売された。当初の駅弁はおにぎりと沢庵を竹の皮に包んだような簡易なものであった。サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が現れ始めたのもこの頃からである。

大正時代
第一次世界大戦とそれ以降に不作により、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり社会問題に発展した。東北地方など地方から都会への移住者が増えたため、所得格差が大きくなり、弁当に大きな貧富の差が表われた。当時の人々はこの現象が肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えると考えたのである。

昭和初期
アルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発された。壺井栄の小説『二十四の瞳』に描写されるようにそれは目の覚めるような銀色をしており、またメンテナンスの容易さもあって当時の人々から羨望の的となる。またかつて小学校の冬の暖房装置にストーブ類が多用されていた頃は持参したアルマイト弁当箱ごとストーブの上に置き、保温・加熱するということも行われた。

第二次世界大戦後
学校の昼食は給食に切り替えられ全ての生徒と教師に対し用意されるようになった。これによって徐々に学校に弁当を持参してくる習慣は少なくなった。

1970年代
駅弁は国鉄のディスカバー・ジャパンキャンペーンもあって鉄道で観光旅行に出かける人が増えると各地の素材や郷土料理を活かしたもの、観光地にまつわる物などより多様なものとなった。中小規模の企業で自前の食堂を持たないところを対象に、弁当を配達する業者も一般的となった。持ち帰り弁当専門店(通称:ホカ弁)の台頭。急激に普及したコンビニエンスストアでの販売で、そこで販売される弁当は店の電子レンジを使用していつでも温めて食べられることが売りとなった。スーパーマーケットの惣菜コーナーにも弁当が並ぶようになった。これらは「弁当を持ち帰って食べる」という新しい流れを作り出した。また都心部の食堂が少ない地域に、弁当を売りにくる業者も急増した。弁当の配達業者も、時間指定で温かいものを届けることを売りにするものが現れ始めた。これらの現象と呼応するように、ドカベンに象徴される金属製の弁当箱は耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていった。
一方で行政がコストを削減させる目的で一部地域の学校では給食制度が廃止となり、家から弁当を持ってくる習慣が復活しているという。弁当の調理は家 庭の主婦の仕事とされてきたが女性が外に勤めに出ることも多くなったなどの事情もあり、コンビニエンスストアで買ってきたおにぎりやパンを持参する生徒も 多くなった。

平成時代
コンビニエンスストアが地方でも一般的になり温かい弁当が一般化すると駅弁でも化学反応を利用して加熱できるタイプのものが登場した。2003年頃から、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっている。乗客は空港での待ち時間や飛行機に乗っている間にそれを食べている。2005年からは、(主に母から子への)愛情弁当の「キャラ弁」が流行となっている。

現代
低価格の250円弁当が路面店で売り出され、採算の合う大都市中心部で流行している。以前から低価格の弁当は存在していたが、カテゴリとして確立したのはこの頃である。また、節約のために弁当持参をする人が増えた。弁当男子という独身男性が自ら弁当を作って持参する言葉が生まれた。さらに1970年代に開発、発売された保温弁当容器も進化を遂げて一昔前の大きな弁当箱というイメージは薄れ男性用ビジネス鞄に入るスリムなタイプが登場した。近年は女性向けに小型化されてカラフルでおしゃれなタイプの保温弁当箱も登場している。

シュンペーター

  • 2010/03/22(月) 06:36:16

ヨーゼフ・アーロイス・シュンペーター(1883年2 月8日 - 1950年1月 8日)
オーストリア出身の経済学者。企業者の行う不断のイノベーション(革新)が経済を変動させるという理論を構築した。

シュンペーターはワルラス流の一般均衡理論を重視した。
彼の理論にでは、均衡状態はイノベーションによって不断にシフトしており、イノベーションが加わらないと経済は均衡状態に陥ってゆく。均衡では企業者利潤は消滅し利子もまたゼロになる。
市場均衡を最適配分とみる古典派の見解と異なり、シュンペーターにとって均衡は沈滞である。

イノベーションはつまり新結合である。(新発明ではない!)

イノベーションとは、経済活動において旧方式から飛躍して新方式を導入することである。日本語では技術革新と訳されることがあるが、イノベーションは技術の分野に留まらない。シュンペーターはイノベーションとして以下の5類型を提示した。

 1. 新しい財貨の生産
 2. 新しい生産方法の導入
 3. 新しい販売先の開拓
 4. 新しい仕入先の獲得
 5. 新しい組織の実現

イノベーションの実行者を企業者(アントレプレナー)と呼ぶ。この意味における企業者は、一定のルーチンをこなすだけの経営管理者(土地や労働を結合する)ではなく、生産要素を全く新たな組み合わせで結合し(新結合)、新たなビジネスを創造する者として重視される。起業者。

シュンペーターは銀行の機能を大分持ち上げている。起業者が銀行から信用貸出を受け、それに伴い銀行システムで通貨が創造されるという信用創造の過程を重視した。というかイノベーションの全権を担っていると考えたのだ。古典派の貨幣ヴェール観では貨幣や信用を実体経済を包むだけの名目上の存在とみなしたが、彼の理論によると「銀行家は単に購買力という商品の仲介商人なのではなく、またこれを第一義とするのではなく、なによりもこの商品の生産者であるとみなされる。

起業者が銀行組織の信用供与(銀行からの借入)を受けてイノベーションを実行すると経済は撹乱されるが、その不均衡の拡大こそが好況の過程であるとシュンペーターは考えた。一方で、イノベーションがもたらした新しい状況において独占利潤を手にした先行企業に後続企業が追従して経済全体が対応し、信用収縮(銀行への返済)により徐々に均衡化していく過程を不況と考えた。

 著書:
 『理論経済学の本質と主要内容』
 『経済発展の理論』
 『景気循環の理論』

失敗のものづくり

  • 2010/03/15(月) 19:06:55

製造業はひたすら安く、早く、大量に作ることにのみ挑戦している。

本当に生活に必要とされるものなのだろうか?

日本をみると高度経済成長期に比べて、必要とするものはあふれ、付加価値を加えた部分で製品の価値が決まってくる。そこはもちろん個人の好みが強くなってくるので、他の産業を見るに洋服のデザインであったり、心地よさであったり、ステータスであったりする。

一方で発展途上国においては今だ生活必需品といえるような工業製品が望まれている場所がッ多々ある。そこではもちろん日本で磨きこんできた多機能製品が求められているのではない。いわゆるボリュームゾーンと呼ばれるような製品群なのである。

ボリュームゾーンとはすなわち一般的な大衆をターゲットとして、共役的機能があればよい。

日本の製造業はそれらを目指しているのだろうか?そこでは今までとは根本的に異なるものづくりの仕方が必要なのではないのだろうか。日本におけるあらゆるコストは高い。愚直に努力するということは何も考えないことではない。

マニュアルは従っていても何も意味はない。いかにマニュアルを作って広げていけるか。新しい製品であればそれなりの、当事国でないなら現地の調査をマニュアルに加えていくべきなのではないだろうか。