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捕鯨

  • 2007/12/29(土) 17:58:35

earthwormからcrawlerへとミミズは出世する。
日本では単にミミズだが、アメリカでは出世魚ならぬ出世ミミズ。
欧米では釣りが盛んな事もあり、この様な呼び訳の言葉が存在するのであろう。釣りやハンティングが旺盛な欧米ならではか。

どー

  • 2007/12/29(土) 12:06:08

ベルクソン哲学が「出来の良い二元論」なら、カント哲学「判断はどうあるべきか」。
街で良く見かける判断の場面では、誰かが「これこれ。。。こうこう。。。」と思いのたけを述べた後、「どうです?あなたの意見は?」と言って、すぐに答えられずにいると、「そうか、その通りか」と誰かがいい、事態が進む。いまのマスコミのやりくちか。

主客

  • 2007/12/24(月) 14:55:43

「生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」矛盾と葛藤の只中にある確実なものとはこれが純粋経験に通じる。二項対立を前提にしているヨーロッパ哲学は、弁証法もそうであるが、二項対立の止揚がうまく行かないときは対立したままの姿がのこってしまう。これではこびりついた錆の様にまずいのではなかろうか。そこで登場する二項同立。根本において同着があることこそ、次の発動をおこす原動力になる。こんなあわせ技に驚くも、イエスかノーかをいちいち言わないというこの論理はすんなりと入っていかない。ただ、入っていなくともこの様な考え方から行動を見る事が出来るのかと感じいる。そこには「行為的直観」と言うような、言葉でなく純粋経験とも言える感覚が存在しなければ不可避であろう。この純粋経験というものは面白くて受け止める力とも言えるのではないか。いやおう無しに分岐する先を選択させる様な海外文化に接した時にこの方法へとうつろうのも悪くは無い。

境界線

  • 2007/12/15(土) 10:26:17

世の中にある枠組みを越えてみる。誰かが引いたものとものとの間にある境界線を視点をちょっとかえてみることで変えてみると新しい関係性が生まれてくるものだ。枠組みに囚われないこと。これは日本人が得意としてきた分野なのではなかろうか。日本文化の中にうつ(夢)とうつつ(現)をうつろう方法があるが、まさにそれこそ枠組みを越える方法なのである。夢うつつとなりながらその境界線を越えてみる事がこれからの日本の方法を考える上で重要になってくるだろう。先に読んだ戯曲の中に黒点島というタイトルがあったが、そこに現れていた方法もこの境界線を越えるか越えないかがドイツの壁を視点としてその上に立つ少年の立場から「越えて見れば、、、」と話が続く。この様な作品が現れ評価される事が境界線の重要さが感じ取られてきているのです。

えこ

  • 2007/12/02(日) 13:07:51

石油火力発電所における1kWh当たりの石油の消費量は約0.2l/kWh。
家庭で一日に使う電力量を20A * 24h * 100V * 25%ぐらいで12kWhとすると、年間の消費電力量は4380kwhで、石油消費量は12kWh * 0.2l/kwh * 365 = 876lの石油を消費している事になる。ドラム缶に直すと、0.2kl/缶として、876/0.2/1000= 4.4缶分の石油を家庭では消費しているので。ちなみに沸騰水型原子炉なら1.6ベレット(8グラム、1cm角程度)。日本の家庭数を4000万世帯とすると、4.4*4000*10000 = 1.7億缶のドラム缶数になる。一人当たり1缶ちょっとか。